一人旅をこよなく愛する、アラカンサラリーマンのOusuiです。
私は、2017年11月に、JRの鉄道路線を全線完乗しました。
50代を目の前にして、学生時代以来となる「乗り鉄」の世界に復帰し、どのようにしてJR全線完乗に至ったかを綴っていきます。
2014年1月2日 筑豊本線・後藤寺線・日田彦山線・日豊本線
2013年と2014年は仕事が異常に忙しい時期で、プライベートの旅行を全くしていません。
今回は、年末年始の帰省のタイミングを利用しての、プチ「乗り鉄」です。
スタートは、筑豊本線の若松駅。
対岸の戸畑との間を結ぶ若戸大橋が見えます。長さ627mの吊り橋で、1962年の開通当時は東洋一の長さを誇り、今年(2022年)には、国の重要文化財にも指定されました。
若松駅は、かつては石炭輸送の拠点で、1941年には貨物取扱量が全国1位になったこともあるようです。
そんな時代を、JR九州の初代社長だった石井幸孝氏の著書「国鉄」では、次のように伝えています。
中央から離れるほど貨物輸送が旅客輸送より上位に位置していた。北海道では札幌駅長より岩見沢駅長が、九州では博多駅長より若松駅長の方が格は上だった。(いずれも貨物中心の駅)
石井幸孝著『国鉄 – 「日本最大の企業」の栄光と崩壊』
しかし、石炭輸送の需要がなくなり、1982年には貨物輸送が廃止。広大なヤードも公共施設やマンションなどに変わって、往時を偲ぶものはあまり残っていません。
筑豊本線は、若松から原田までの66.1kmでいずれも未乗路線ですが、今回は、新飯塚駅まで乗車します。
正確な乗車記録が残っていないのですが、13時40分頃に折尾駅に到着。
折尾で乗り換えたのか、直通だったのかが定かでないですが、14時半頃には新飯塚にいました。
新飯塚からは、後藤寺線に乗り換えて、14時40分過ぎに田川後藤寺へ向かいます。
約20分で田川後藤寺駅に到着します。
田川後藤寺は、後藤寺線とこれから乗車する日田彦山線の他に、平成筑豊鉄道の糸田線が乗り入れており、向かいのホームには平成筑豊鉄道の車両が留っていました。
ここから先はまったく写真がなく、(おそらく)小倉行きの直行列車で、日田彦山線の城野まで、そこから日豊本線で小倉までの未乗区間を乗ったものと思われます。
日田彦山線に乗車するのは明らかに初めてなのですが、日豊本線の方はおそらく過去にも乗ったことがあるのでは?と思いつつも、「確かな記憶」がありません。
そのような不確かな路線が全国に幾つもあり、これらの路線の乗車も含めてまだまだ長い道程が続くことになります。
今回の総括
最後に、今回乗車した路線・区間・距離をまとめておきます。
JR線
会社 | 路線名 | 乗車区間 | 乗車キロ |
JR九州 | 筑豊本線 | 若松 – 新飯塚 | 37.6 |
JR九州 | 後藤寺線 | 新飯塚 – 田川後藤寺 | 13.3 |
JR九州 | 日田彦山線 | 田川後藤寺 – 城野 | 30.0 |
JR九州 | 日豊本線 | 城野 – 小倉 | 6.1 |
合計 | 87.0 |
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